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東京地方裁判所 昭和57年(ワ)5959号 判決 1984年7月30日

甲事件亡甲野二郎訴訟承継人原告 甲野花子

<ほか二名>

右原告ら三名訴訟代理人弁護士 千葉憲雄

同 山本英司

乙事件原告 甲野一郎

<ほか二名>

右乙事件原告ら三名訴訟代理人弁護士 伊坂重昭

同 猪瀬敏明

甲乙事件被告 丁原松子

右訴訟代理人弁護士 大野忠男

同 大野了一

同 荒木俊馬

主文

一  別紙物件目録記載の土地及び建物につき、甲事件原告甲野花子が各二〇分の一、同甲野一枝及び同甲野二枝が各四〇分の一の割合の共有持分権をそれぞれ有することを確認する。

二  甲事件原告らの主位的請求及び乙事件原告らの請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用はこれを四分し、その一を甲事件原告らの、その二を乙事件原告らの、その余を被告の各負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

(甲事件について)

一  主位的請求の趣旨

1 荒木俊馬作成にかかり、同人及び大野了一、水上康平を立会証人とする昭和五六年五月二日付遺言書による亡甲野ハナの遺言が無効であることを確認する。

2 別紙物件目録記載の土地及び建物につき、原告甲野花子が一〇分の一、同甲野一枝、同甲野二枝が各二〇分の一の割合の共有持分権をそれぞれ有することを確認する。

3 被告は、別紙物件目録記載の土地及び建物につき、真正な登記名義の回復を原因として、原告甲野花子に対して一〇分の一、同甲野一枝、同甲野二枝に対して各二〇分の一ずつの各持分移転登記手続をせよ。

4 訴訟費用は被告の負担とする。

二  予備的請求の趣旨

1 主文第一項と同旨

2 訴訟費用は被告の負担とする。

三  甲事件の請求の趣旨に対する答弁

1 原告らの主位的請求及び予備的請求をいずれも棄却する。

2 訴訟費用は原告らの負担とする。

(乙事件について)

一  請求の趣旨

1 甲事件の主位的請求の趣旨1項に同じ

2 別紙物件目録記載の土地及び建物につき、原告甲野一郎、同乙山春子、同丙川夏子がそれぞれ五分の一ずつの割合による共有持分権を有することを確認する。

3 被告は、別紙物件目録記載の土地及び建物につき、原告甲野一郎、同乙山春子、同丙川夏子に対し、真正な登記名義の回復を原因として各五分の一ずつの各持分移転登記手続をせよ。

4 訴訟費用は被告の負担とする。

二  乙事件の請求の趣旨に対する答弁

1 原告らの請求をいずれも棄却する。

2 訴訟費用は原告らの負担とする。

第二当事者の主張

(甲事件について)

一  主位的請求の原因

1 訴外亡甲野ハナ(以下、亡ハナという。)は、昭和五六年五月二三日に死亡したが、同人が昭和五六年五月二日午前一一時三〇分に東京都港区赤坂二丁目一七番一七号所在の赤坂病院において、立会証人訴外大野了一、同水上康平及び同荒木俊馬立会の下に、右荒木に対して口授することによって作成されたとする亡ハナの遺言書(以下、本件遺言書という。)が存在する。

2 別紙物件目録記載の土地建物(以下、本件土地建物という。)は、亡ハナの所有するところであったが、本件遺言書には右土地建物をいずれも被告に遺贈する旨の記載がある。

そして、本件遺言書に基づき、本件土地建物については昭和五七年六月一六日東京法務局受付第一六七五号をもって同五六年五月二三日遺贈を原因として被告に所有権移転登記がなされている。

3 しかしながら、本件遺言書による亡ハナの危急時遺言(以下、本件遺言という。)は、遺言時において亡ハナには死亡の危急が迫っていなかったし、遺言者の口授もなかったものであるから、その要件を欠き無効である。

4(一) 亡ハナ死亡時の共同相続人は、長男乙事件原告甲野一郎(以下、原告一郎という。)、長女原告乙山春子(以下、原告春子という。)、二男亡甲野二郎、二女原告丙川夏子(以下、原告夏子という。)並びに訴外亡丁原タケ(昭和四六年二月一四日死亡)の代襲相続人被告及び訴外丁原梅子の六人であり、その法定相続分は被告と右丁原梅子が各一〇分の一であり、その余の者は各五分の一である。

(二) その後、本件訴訟係属中の昭和五七年八月七日に右亡甲野二郎は死亡したが、同人の共同相続人は妻原告甲野花子(以下、原告花子という。)、長女原告甲野一枝(以下、原告一枝という。)及び二女原告甲野二枝(以下、原告二枝という。)の三人であり、法定相続分は原告花子が二分の一であり、原告一枝及び同二枝らは各四分の一である。

5 従って、本件土地建物について、原告花子は一〇分の一、同一枝及び同二枝は各二〇分の一の共有持分権を相続により取得した。

6 よって、原告らは被告に対し、本件遺言が無効であること及び原告らが本件土地建物について右各共有持分権を有することの確認を求めるとともに、右各共有持分権に基づいて真正な登記名義の回復を原因とする持分移転登記手続を求める。

二  予備的請求の原因

1 主位的請求の原因1、2、4に同じ

2 亡ハナのめぼしい相続財産は本件土地建物のみであるところ、亡ハナの被告に対する前記遺贈により亡甲野二郎の一〇分の一の遺留分が侵害された。

3 亡甲野二郎は、本訴状をもって被告に対し遺留分減殺の意思表示をし、右訴状は昭和五七年五月二六日に被告に送達された。

4 よって原告らは、被告に対し、本件土地建物について、原告花子が二〇分の一、同一枝及び同二枝が各四〇分の一の共有持分をそれぞれ有することの確認を求める。

三  主位的請求の原因に対する認否

1 請求原因1、2の事実は認める。

2 同3は争う。

3 同4(一)(二)の事実は認める。

4 同5、6は争う。

四  予備的請求の原因に対する認否

1 請求原因1の事実は認める。

2 同2の事実は認め、主張は争う。

3 同3の事実は認める。

4 同4は争う。

五  主位的請求に対する抗弁

(本件遺言の成立)

1  亡ハナは、昭和四五年頃二女の原告夏子及び長女の原告春子から本件土地建物の帰属をめぐって訴訟を提起されたが、同五二年一月三一日東京地方裁判所において本件土地建物の所有権が亡ハナに属する旨の判決を得た。

ところが、原告夏子は、さらに控訴(同五五年一二月二二日控訴棄却)、上告(亡ハナ死亡後の同五七年四月一日上告棄却)して争ったため、亡甲野は生前中ずっと右裁判に悩まされ続けて来た。

2  亡ハナは、このように自分の子らから裁判を起こされていたことから、右裁判の係属中に本件建物の管理を被告に任せる旨、あるいは本件土地の半分を被告に贈与する旨の念書を書き、被告に交付していたが、昭和五六年四月中旬頃被告に対し、自分の子らは永年にわたって親を相手取って裁判をし、財産をとろうとした。そのような子らには自分の財産を一切やりたくない。土地家屋など財産の一切を松子に遺す」旨述べ、被告にその旨を書きとらせた。

3  被告は、亡ハナの右意思につき、前記裁判における亡ハナの代理人弁護士より示唆を受け、公正証書遺言を作成すべく麹町公証人役場の公証人訴外多田正一に相談したところ、同人から亡ハナが出頭できなければ自ら出張して遺言書を作成しても良いと言われた。

4  ところが、亡ハナは、かねてから老衰と糖尿病で自宅療養中であったところ、昭和五六年四月二三日肺炎を併発して救急車で赤坂病院に入院するに至った。

入院時の病名は肺炎、糖尿病、褥創、尿路感染症、パーキンソン症候群及び老衰であり、かなりの重態であった。

5  そこで、被告は、同月下旬頃知り合いの弁護士である訴外荒木俊馬(以下、荒木という。)に亡ハナの遺言書作成の意思を伝え、その処理方法を相談した。

6  荒木は、その翌日頃、赤坂病院に入院中の亡ハナを訪ね、その意向を開いたところ、同人は、「自分の住んでいるうちをお松にやる」旨述べたが、あまり症状が良くなかったため、そのまま戻り、同年五月一日頃同人の事務所においてあらかじめ被告より聞いていた亡ハナが被告にやる旨述べていた亡ハナの住んでいる土地建物を具体的に記載した遺言書の原稿を作成した。

7  そして、その後、荒木は、昭和五六年五月二日午前一〇時頃弁護士である訴外大野了一(以下、大野という。)及び水上康平(以下、水上という。)とともに赤坂病院を訪れ、同病院長である訴外小渋雅亮(以下、小渋という。)に面接し、亡甲野の容態を確認のうえ小渋に立会を求めた。

小渋は、右三名とともに病室におもむき、亡ハナを診察した結果、同人の意識は清明であり、意思能力も遺言能力もあるとの診断を下した。

8  荒木は、右診断を確認したうえ、亡ハナに対し、遺言の趣旨の口述を求めたところ、亡ハナは、「自分が今住んでいる家と土地をお松にやる」と述べた。

そこで、荒木は用意持参した遺言書原稿の内容を読み聞かせたところ、亡甲野は「そのとおり間違いない」と述べたため、遺言書原稿を遺言書としてこれにその場で署名押印した。

9  立会証人である大野及び水上は、読み上げた遺言書原稿の記載内容が亡ハナの遺言趣旨どおりであることが承認されたので、その筆記の正確な事をそれぞれ承認して、その場で前記遺言書にそれぞれ署名押印した。

10  なお、本件遺言当時、亡ハナの病状は重く、遺言の前日である五月一日には担当医が老人なのでいつどうなるかわからない旨述べていたほどであり、亡ハナは、本件遺言後二一日を経た同月二三日に肺炎及び老衰により死亡するに至った。

したがって、亡ハナが、本件遺言時死亡の危急にあったことは明らかであった。

11  以上のとおりであるから、亡ハナの本件遺言は有効に成立したものであり、原告らの主張は理由がない。

六 抗弁に対する原告らの認否

1  抗弁1の事実のうち、亡ハナが生前中ずっと裁判に悩まされ続けて来たことは否認し、その余の事実は認める。

2  同2のうち、自分の子らから裁判を起されていたことから、右裁判の係属中に本件建物の管理を被告に任せる旨の念書を書いて被告に交付していたことは認めるがその余の事実は否認する。

3  同3の事実は知らない。

4  同4の事実は認める。

5  同5の事実は知らない。

6  同6の事実は否認する。

7  同7ないし9の事実はいずれも否認する。

8  同10のうち、本件遺言当時亡ハナの病状が重かったこと及び亡ハナが五月二三日に肺炎及び老衰により死亡したことは認め、主張は争う。

9  同10は争う。

再抗弁記載のとおり、亡ハナは本件遺言をしたとされる昭和五六年五月二日当時は口授能力を有していなかったものである。

七 原告らの再抗弁

1  (意思能力ないし遺言能力の欠缺)

亡ハナは、入院時より本件遺言をした日とされる昭和五六年五月二日まで三八度前後の高熱状態が続いており、名前の呼びかけに対してさえ反応しない状態で、時たま「イタイ、イタイ」「ハイ、イイエ」などの発言がみられるほか自ら言葉を発することもできない状態で終日うとうととした傾眠状態もしくは意識もうろうの状態にあったものであって、右亡ハナの症状からすると、本件遺言時とされる五月二日には亡ハナには遺言能力はもちろん、意思能力もなかった。

2  (証人適格の欠缺)

立会証人であり口述筆記者であるとされる荒木は、本件遺言による受遺者である被告から依頼を受け、被告と相談して本件遺言書を作成しているものであり、また他の立会証人である大野及び水上も受遺者側の者であるからいずれも実質的には証人適格がなく、したがって右各証人立会のもとになされた本件遺言は無効である。

八 再抗弁に対する認否

1  再抗弁1の事実は否認し主張は争う。

亡ハナの意識はきわめて清明であり、決して傾眠状態もしくは意識もうろうの状態ではなかった。

2  同2の事実は否認し、主張は争う。本件遺言書作成の依頼者は亡ハナである。

(乙事件について)

一  請求の原因

1 甲事件の主位的請求の原因1、2、3、4(一)に同じ

2 従って、本件土地建物について原告一郎、同春子及び同夏子は各五分の一の共有持分権を相続により取得した。

3 よって、原告らは被告に対し、本件遺言が無効であること及び原告らが本件土地建物について右各共有持分権を有することの確認を求めるとともに、右各共有持分権に基づき、真正な登記名義の回復を原因とする持分移転登記手続を求める。

二  請求の原因に対する認否

1 請求の原因1に対する認否は甲事件の主位的請求の原因1、2、3、4(一)に対する認否に同じ

2 同2、3は争う。

三  抗弁

甲事件抗弁に同じ

四  抗弁に対する認否

甲事件抗弁に対する認否に同じ

五  再抗弁

甲事件再抗弁に同じ

六  再抗弁に対する認否

甲事件再抗弁に対する認否に同じ

第三証拠《省略》

理由

一  甲事件の主位的請求及び乙事件について

甲事件の主位的請求の原因及び乙事件の請求の原因については当事者間に争いがない。

二  そこで、両事件の抗弁(本件遺言の成立)について判断する。

1  抗弁1の事実のうち、亡ハナは昭和四五年頃二女の原告夏子及び長女の原告春子から本件土地建物の所有権の帰属をめぐって訴訟を提起されたが、同五二年一月三一日東京地方裁判所において本件土地建物の所有権が亡ハナに属する旨の判決を得たこと、しかるに、原告夏子はさらに控訴(同五五年一二月二二日控訴棄却)、上告して争い、亡ハナ死亡後の同五七年四月一日右上告が棄却されたこと、亡ハナは、このように自分の子らから裁判を起されていたことから、右裁判の係属中に本件建物の管理を被告に任せる旨の念書を書いて被告に交付していたこと、亡ハナは、かねてから老衰と糖尿病のため自宅療養中であったところ、同五六年四月二三日肺炎を併発して救急車で赤坂病院に入院するに至ったが、入院時の病名は肺炎、糖尿病、褥創、尿路感染症、パーキンソン症候群及び老衰であり、かなりの重態であったこと、亡ハナは同年五月二三日に肺炎及び老衰により死亡するに至ったことなどの各事実については当事者間に争いがない。

2  当事者間に争いがない右各事実のほか、《証拠省略》を総合すると次の事実を認めることができ、他に右認定を左右するに足る証拠はない。

(一)  亡ハナは、前述のように自分の子らから裁判を起されていたことから本件建物の管理を被告に任せる旨念書を書いたほか、昭和五三年頃には本件土地の半分を被告に贈与する旨の念書を書いて被告に交付し、さらに同五六年四月中旬頃には被告に対し本件土地建物を被告にやりたいと述べるに至った。

(二)  被告は、亡ハナが右のような遺言の意思を持っていることについて前記裁判における亡ハナの弁護士に相談したところ、公正証書遺言を作成することを示唆されたので、麹町公証人役場の公証人訴外多田正一に会って事情を説明したところ、同人から亡ハナが出頭できなければ自ら出張して遺言書を作成してもよい旨告げられた。

ところが、前記のように、亡ハナが赤坂病院に入院してしまったので、被告は、同月下旬頃友人の訴外石原芳樹から荒木を紹介してもらい、同人に右事情を話してその処理方法を相談した。

(三)  そこで荒木は、その翌日頃赤坂病院に入院中の亡ハナを訪ね、同人に遺言したいのかどうか尋ねたところ同人はこれを肯定し、「お松にやる」と述べ、何をやるのかという問に対して「家」と答え、さらに家というのは同人が住んでいる麹町の家かという趣旨の問に対し「はい」と答えた。

荒木は、亡ハナの症状があまり良くなかったために、その日はそのまま帰り、同人の症状からすると危急時遺言の方式をとるのが相当だと考え、あらかじめ被告から聞いていた亡ハナが被告にやる旨述べていた亡ハナが住んでいる本件土地建物の登記簿謄本を取り寄せ、同年五月一日頃自分の事務所で本件土地建物を具体的に記載した遺言書の原稿を作成した。

(四)  その後、荒木は、昭和五六年五月二日午前一一時前頃に大野と水上を伴って赤坂病院へ行き、同病院の院長である小渋に面会し、来院の目的を告げたうえ同人に立会を求めた。

小渋は、同日午前一一時頃右三名とともに亡ハナの病室へ行き、同人を診察した結果、同人が「おばあちゃん元気、朝御飯食べたの、おいしかった」などの質問に対し「はい」とか「いいえ」とかはっきり意思表示をしていたので意識は鮮明であると判断し、遺言書を作成することを許可した。

(五)  そこで荒木は、大野、水上及び小渋立会のもとで、亡ハナに対し、まず、「おばあちゃん遺言をするんですか」と質問したところ、同人は「はい」と答えたので、さらにどういう内容の遺言をするのか質問したところ、何か口ごもったような言葉で「お松にやる」と答えた。

そして、「何をお松にやるの」と聞いたところ、「家」と答え、さらに「家というのは麹町のおばあちゃんの住んでいる家ですか」との問及び「お松とは丁原松子のことですか」との問にはいずれも「はい」と答えた。

また、荒木は、亡ハナが理解できているかどうか確かめるため、他の相続人である原告二郎、同一郎及び同夏子という名前を次々に入れかえて「おばあちゃんの住んでいる家を甲野二郎さんにあげるの」というように質問したところ、同人は首を横に振って「いや」とか「いいえ」とか答えた。

そこで、荒木は、他の三人に対し、如何ですかと聞いたところ三人とも大丈夫ですと答えたので、同人は事前に用意して来た本件遺言書の原稿を読み上げ、亡ハナに「間違いないですか」と聞いたところ、同人は「はい」と答えた。

その後、荒木はその場で署名押印し、他の二名の証人である大野と水上も続いて署名押印した。

(六)  なお、亡ハナは、明治二六年五月三日生で本件遺言当時八七歳であり、入院後も病状は一進一退をくり返し、本件遺言をした前日の五月一日には酸素吸入も行われており、医師も家族に対して「老人なのでいつどうなるかわからない」旨述べていたほどであった。

以上の各事実が認められ(る。)《証拠判断省略》

3  以上の事実を前提に本件遺言が民法九七六条一項に定める危急時遺言の要式を満しているかどうか検討する。

(一)  まず、本件遺言が「遺言の趣旨を口授」するという要件を満しているかどうか検討するに、「口授」とは言語による意思表示すなわち口述を意味するものであって、単なる首肯などの動作はこれに含まれないことは明らかであるが、他方、同法九七六条は遺言の「趣旨」を口授すれば足りると規定していることから、遺言書の文言どおり口述する必要はないことも明らかである。

そして、どの程度の口述をもって「遺言の趣旨の口授」と見るべきかは、同法が九七六条の方式による危急時遺言の要件として「遺言の趣旨の口授」を要求した趣旨から判断すべきところ、同条が「遺言趣旨の口授」を要件とした理由は、危急時遺言は公正証書遺言と同じように第三者が遺言書を作成する型式をとるものであるため、作成された遺言書が遺言者の真意と合致するか否かを立会証人に確かめさせるには口頭による意思の表示が最も妥当であると考えたからである。

従って、「遺言の趣旨の口授」があるといえるためには、第三者たる立会証人が、遺言者において真にある特定の内容の遺言をする意思があることを確かめるに足る程度の口述が必要であるが、遺言者の口述によってそれが明らかになる以上、遺言者の発する言葉自体の中に遺言の骨子がすべて含まれている必要はなく、立会証人と遺言者との口頭による問答から遺言者において特定の内容の遺言をする意思があることが明らかになれば、「遺言の趣旨の口授」があったものと解すべきである。

そして、右の観点に立って本件の場合を検討するに、前記諸事実からすれば、本件の場合には「遺言の趣旨の口授」があったものと解するのが相当である。

また、前認定のように、本件遺言書は、亡ハナが遺言をする以前に荒木においてあらかじめ亡ハナから直接あるいは被告を通じて亡ハナの意向を聞いて作成しておいたものではあるが、これは同法九七六条に定める口授と筆記の順序が前後したにとどまるものであって、それがあっても遺言者の真意を確保し、その正確を期するため遺言の方式を定めた法意に反するものではなく、同条に定める方式に違反するものではない。

(二)  次に、本件遺言当時、亡ハナは「死亡の危急に迫った」状態にあったか否か検討するに、なるほど亡ハナは本件遺言をした後三週間は生存していたものであるが、その年令や前記病名及び病状からすると、客観的に「死亡の危急に迫った」状態にあったものと認めるのが相当である。

以上からすれば、本件遺言は民法九七六条一項の要式を満しているものと解され、よって被告の抗弁は理由がある。

三  そこで次に原告らの再抗弁について判断する。

1  (意思能力ないし遺言能力の欠缺について)

亡ハナの入院時の病名及び病状は前判示のとおりであり、また看護日誌によれば、入院後本件遺言をなした日までの間、看護日誌には四月二九日「自発語ほとんどなし」、同月三〇日「自発語みられず」、五月一日「問いかけに対し会話なし」「呼名反応なし」などの記載がなされていることや、また四月二八日、同月三〇日及び五月一日には酸素吸入がなされていることが認められ、これらからすると亡ハナの病状はかなり重く、体力的にはかなり衰弱していたことがうかがわれるが、他方右看護日誌には四月二九日「応答明瞭」「多弁である」、五月一日「呼名反応(+)」、五月二日一一時「呼名反応あり」などの記載があるが、《証拠省略》によれば「呼名反応あり」との所見は、明らかに意識の混濁がないことを意味するものであることが認められ、これらと前認定の本件遺言時の状況を合わせ勘案すると、右事実をもってしてはいまだ本件遺言時において、亡ハナには意思能力ないし遺言能力がなかったとまでは認められず、他にこれを認めるに足る証拠はない。

2  (証人適格の欠缺について)

原告らは、本件遺言の立会証人である荒木は被告から依頼を受けた者であり、また大野と水上も被告側の者であるからいずれも実質的に証人適格がない旨主張する。

しかしながら、本件遺言書作成の依頼者が被告であると認めるに足る証拠はなく、また、民法九八二条によって準用される同法九七四条の列挙する証人の欠格事由は制限列挙であると解すべきであるから、右条項に列挙された者以外は証人適格を有するものというべきところ、右三名は右条項のどれにも該当せず、したがっていずれも証人適格を有するものと認められる。

よって、原告らの再抗弁はいずれも理由がない。

四  甲事件の予備的請求について

1  甲事件の予備的請求の原因については当事者間に争いがない。

2  右事実からすれば、亡甲野二郎は本件遺言による遺贈によって一〇分の一の遺留分を侵害されたものであり、右遺留分減殺の意思表示によって本件土地建物について各一〇分の一の共有持分権を取得し、さらに同人の死亡によって本件土地建物につき原告花子は二〇分の一、同一枝及び同二枝は各四〇分の一の割合による共用持分権をそれぞれ取得したものというべきである。

よって、原告らの本訴予備的請求は理由がある。

五  結論

以上のとおりであるから、甲事件原告らの本訴主位的請求及び乙事件原告らの本訴請求はいずれも失当であるから棄却し、甲事件原告らの本訴予備的請求は理由があるので認容し、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条、九二条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 高田健一)

<以下省略>

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